次世代へとつなぐ 平和と豊かな自然

島の平和を祈る「聖ジョージ教会」

2011年に世界自然遺産に登録された小笠原諸島。その貴重で豊かな自然がクローズアップされたものの、絶海の島が辿ってきた特異な歴史はあまり知られていないかもしれません。昨年返還50周年を迎えた島の「歴史」について小笠原村観光局の伊藤優美さんにお話を伺いました。

小笠原村観光局 伊藤優美さん
小笠原村観光局 伊藤優美さん

小笠原諸島の人口はおよそ父島2100人、母島450人。そのうち戦後に移り住んだ「新島民」が約9割、平均年齢が40歳と比較的若い島であるのも特徴です。居住ができるのは父島と母島だけで、小笠原諸島の大半が国立公園や森林生態系保護地域に指定されています。

最初の住民は日本人ではない
1593年、信州深志(松本)の城主小笠原長時の曾孫、小笠原貞頼が発見したとされている小笠原諸島。1830年、欧米人5人と太平洋諸島民を含む20数人が最初に定住しました。国際的に日本領土として認められたのは1876年(明治9年)です。大正後期には亜熱帯性気候を生かした果樹や野菜の栽培のほか、カツオ漁・マグロ漁・捕鯨やサンゴ漁などが盛んに。島民の人口は7千人と最高超え大きく発展しました。

黒船のペリーが来航
江戸時代末、歴史を大きく動かす「開国」のきっかけとなったのがペリーの来航です。黒船率いるペリーは太平洋横断航路の中継基地として小笠原諸島に注目。1853年に父島に来航した際には、ナサニエル・セーボレーから当時50ドルで石炭貯蔵用地を購入しています。

クジラが棲む紺青の海
欧米人が定住し始めた背景にあるのが、小笠原諸島近海で行われていた外国船による「捕鯨」。1863年にはジョン万次郎(中浜万次郎)が日本人初の洋式捕鯨を行いました。やがて戦前から戦後まで続いた捕鯨の歴史は1987年に幕を閉じます。その翌年行われた日本初のホエールウォッチングは現在では島を代表する観光として人気となっています。

平和を誓う島
豊かで平和な島は太平洋戦争を機に大きく変化。1944年(昭和19年)には6886人の島民が本土への強制疎開を余儀なくされ、本土防衛の最前線となった「硫黄島」では日米両軍合わせて28721名の尊い命が奪われました。戦後23年のあいだ米軍の占領下におかれた小笠原諸島は、1968年(昭和43年)日本に返還。島民の帰島がやっと許されました。1979年(昭和54年)には村政が確立し、自然と共生する村を目指した新しい村づくりがスタート。現在自衛隊の基地がある硫黄島は、火山活動など自然条件が厳しいといった理由で帰島は実現していませんが、激戦によって荒廃した島には着実に自然が蘇っています。

一般社団法人小笠原村観光協会
〒100-2101 東京都小笠原村父島字東町(番地なし)
電話:04998-2-2587
e-mail:info@ogasawaramura.com

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